なぜ日本の不動産会社が海外進出すべきなのか?

初めまして。株式会社エイリックの田中圭介と申します。
日系不動産会社の海外進出というテーマでコラムを書かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

まず簡単に私の自己紹介をさせていただくと、元々は大手不動産ポータルサイトに10年ほど勤めており、その時にタイで現地法人の立ち上げおよび代表をしておりました。それがきっかけでASEANにおいてチャンスが非常にたくさんあるにも関わらず、日本ではその情報がきちんと届いておらず機会損失を招いていると痛感し、帰国後に「日本とASEANをつなぐ」というビジョンを掲げ、2015年より日系企業のASEAN進出サポートや企業様、投資家様向けに講演活動やコンサルティングサービスをしています。

その経験をもとに今回は「日系企業、特に不動産会社の海外進出」というテーマで書かせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

日本企業の「海外不動産」への取り組み

さて、最近よく「海外不動産」とか「海外進出」という言葉が聞かれるようになりました。私自身も一般社団法人海外不動産協会という協会の理事長もしておりますが、確かにここ2-3年で不動産業界においても「海外」というキーワードが出てきています。

ただ、ひとえに「海外」と言っても、もちろんのことながら「インバウンド」と「アウトバウンド」の両方の側面があります。

「インバウンド」というのは「海外→日本」のことであり、不動産業界でいうと「海外の方が日本の不動産を購入する」ということです。

逆に「アウトバウンド」は「日本→海外」のことですから、「日本の方が海外の不動産を購入する」ということになります。

今回のテーマは「海外進出」ですから、必然的に「アウトバウンド」に特化した話となります。とはいえ、「アウトバウンドに特化することで、逆にインバウンド需要が増えた」という話もありますし、「インバウンドに対応していたら、アウトバウンドの案件が来た」という話もあります。

ですので、一概に「インバウンド」と「アウトバウンド」は全然違うもの、ではなく、「双方向的な要素」を持っています。

ですが、いくら双方向の要素があると言ってもイメージしにくいと思いますので、まずは「アウトバウンド」に特化して記事は書いていきます。

そんな「アウトバウンド」事情。

実は最近始まった話ではありません。実は日系不動産会社は過去にも海外に進出していた時がありました。今はあまり知られていませんが、50代以上の方であれば理解できると思います。

それはバブル時代。
1980年代、未曾有の好景気が日本を包み込みます。プラザ合意以降、急速に円高になった日本円はその力が海外に向き始めます。

そう、山手線内側の土地価格でアメリカ全土が買えると言われていた時代です。

この1980年代、日本の大手デベロッパーはアメリカを中心に海外でのビジネス展開をしかけ、また当時の日本人もハワイや欧米の不動産を購入するという時代がありました。そこにあったのは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という時代のせいかもしれません。この時代は誰もが浮かれた時でありましたが、残念ながら長くは続きません。1990年に総量規制が導入され、公定歩合が6%に引き上げられたことで一気にバブル崩壊を迎えることになります。

これにより海外進出をしていた多くの日系企業が「自国の不動産価格が暴落して海外どころじゃない」となって、多くの企業が撤退を決めていきました。
それが1990年代の話です。

ちなみに当時デベロッパーや不動産会社で海外勤務をされたり、海外の方と商売をされたりしていたビジネスパーソンの多くは当時所属していた会社を辞め、海外の企業に就職したり、海外で起業されたり、国内でファンド系の会社に転職したり、とかなり動かれたようです。

つまり、デベロッパーや不動産会社は当時活躍していた「海外人材」を引き止めることもなく、2000年になる頃にはすっかり「海外」を語らず「国内」に原点回帰をしていった歴史があります。

そして不良債権化した不動産を処理しやすくするために、不動産の証券化という手法が出てきました。2001年にJリートができたのは銀行の不良債権処理スピードを上げるためでもありましたが、海外不動産で活躍していた多くのビジネスパーソンの雇用の受け皿のようになっていったのも事実です。

そして、海外不動産という言葉は1990年半ば頃から2010年ほどの15年の間、日本国内ではほぼ聞かれないようになりました。

またこの間にリーマンショックも起きており、より一層日本を含む先進国では経済が厳しい状況に陥りました。

そんな中、ある東南アジアの国のプロジェクトが世界中から注目を集めることになります。特に日本ではブームと言えるほどの盛り上がりを見せ、投資家に大きく宣伝されていました。

その国は「マレーシア」で、プロジェクト名は「イスカンダル計画」。
シンガポールと隣接するマレーシア最南端の都市「ジョホールバル」を大開発していく、このプロジェクトは大きな関心を呼びました。

今まで海外不動産と言うとハワイやアメリカ本土という印象が日本人には強かったのですが、ここでメキメキと力をつけてきた東南アジアの優等生と呼ばれるマレーシアのプロジェクトが日本で宣伝されるようになりました。

そして、このマレーシアの物件を日本人投資家に販売しようと日本国内の不動産会社がこぞってセミナーなどを開始し販売していきました。ちょうど2010年とか2011年の話です。

この2010年前後、日本国内ではリーマンショックの影響、かつ新設住宅着工戸数が100万戸を切るレベルにまでダウンしました(図1参照)

加えて少子高齢化社会を迎えることによる需要減と新規に建設できる土地が都市に残されていないことなどの要因があり、いよいよ国内デベロッパー、特に大手は岐路に立たされたわけです。

図1:新設住宅着工戸数の実績と予測結果(全体)

不動産,海外,進出
出所)野村総合研究所データより(実績値は国土交通省「住宅着工統計」、予測値は野村総合研究所作成)

このなんとも言えないタイミングである、2011年に私はタイに渡ることになります。まさに日本国内では不動産業界が非常に厳しいと言われている最中でした。しかし、タイで見た不動産業界の盛り上がりは日本とは全く真逆の、まさにこれからバブルを迎えるのではないか?と思えるような光景がそこには広がっていました。

物件を建てる土地もまだまだたくさんある。
物件を建てる前から現地の人たちが買っていく姿がある
物件が建ったら物件価格が値上がっている。
物件を売却したら利益が出る。

そんな日本の不動産会社が聞いたら泣いて喜ぶような世界がそこにはありました。この経験が私の今の仕事に繋がっていくのですが、とにかく日本で考えられていた常識とは違い、「国が成長するということはこういうことなのか!」と激しく揺さぶられるような衝動を受けたのを覚えています。

そして、私の想いと呼応するかのように前述したマレーシアのイスカンダル計画やタイの物件、そしてフィリピンの物件が日本で宣伝・販売されるようになっていきました。

この流れはバブル時代の海外不動産投資とは違い、日本の将来性への不安(2011年の東日本大震災などの影響もあった)や新興国への期待感など、様々な思惑がインターネットなどの情報を通じて広まっていった流れだと思います。

さて次回はこのような時代の流れがあった上で、企業向けになぜ海外進出をするのかについて書いていきたいと思います。お楽しみに。

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