【予見可能性の法的境界線】裁判例が示す周辺環境リスクの調査義務

不動産取引における重要事項説明は、取引の当事者が契約を締結するか否かを適切に判断するために必要な情報を、宅地建物取引士が買主や借主に対して明確に説明する極めて重要なプロセスです。

この説明を通じて、専門知識を持たない消費者が取引の内容を十分に理解し、納得したうえで意思決定を行えるのです。

重要事項の説明範囲は、宅地建物取引業法第35条に基づき、主に権利関係、法令制限、契約条件など、基本的な情報に関する調査・説明が義務付けられています。

しかし、法令で規定された範囲を説明すれば足りるというものではなく、実務においてはそれを超える広範な調査・説明義務が課される場合がある点について留意が必要です。

実際、「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」でも、法第35条第1項で規定された事項は「相手方又は依頼者に説明すべき事項のうち最小限の事項を規定したものに過ぎない」と明記されています。

したがって、私たちはこれを前提として、個別具体的な取引状況に応じて、法定事項を超える情報提供が求められることがあることを十分に認識し、実務にあたる必要があるのです。

法第35条で規定された事項以外については、原則として宅地建物取引業法上では調査義務の対象外とされています。

しかし、裁判において不動産業者の調査範囲が争われた事案では、取引の動機や目的、顧客の知識や経験に基づき、個別具体的に義務の有無が判断されています。

この裁判例の傾向を正確に理解しておくことは、実務上極めて重要だといえるでしょう。

例えば、取引物件の南側に空き地があり、将来的に建物が建築される可能性がある場合、顧客から「そのような計画はあるのか?」と質問されることは十分に予想されます。

宅地建物取引業法では、周辺環境に関する説明義務やその範囲について明確な定めはありませんが、眺望や通風に重要な影響を及ぼす可能性がある場合、あるいは顧客から具体的な質問がなされた場合には、建築計画の有無について調査を行い、その結果を正確に説明すべき責任が生じます。

これは、媒介契約が準委任契約として位置づけられ、委任事務処理における善管注意義務(民法第644条)が適用されるためです。

したがって、十分な調査を行わず「可能性は低いでしょうね」といった根拠のない説明を行えば、その後トラブルに発展し、損害賠償責任を問われる可能性すらあるのです。

このように、重要事項説明時においては、法的に規定された最小限の範囲を超えて、個々の取引特性や顧客の関心事項を正確に把握したうえで、必要かつ相当な情報提供を行うことが不可欠となる場合もあるのです。

本項では、裁判例を参考にしながら、特に周辺環境についての調査・説明義務の範囲について、実務上の判断基準を中心に考察します。

善管注意義務に基づく調査義務の「拡張領域」と裁判例の適用

媒介業者による説明は、マニュアル化されたチェックリストを埋め、その内容を説明するだけでは足りません。

これは、重要事項説明時に限らず、内見時における物件説明においても同様です。

例えば、近年では新築価格の高騰を受け既存住宅の取引件数が増加し、それに伴い買取業者の件数も増加しています。

買取業者の多くは、リフォームを行い物件を再販しますが、その際「リフォーム済みにつき新築同様」との広告表記や、説明を行うケースが散見されます。

これらは、『不動産の表示に関する公正競争規約(以降、公正競争規約と表示)』で明確に禁止されている誇大表示であるばかりか、顧客が最善の意思決定を行うことを阻害する明確な説明義務違反です。

媒介業者による調査・説明責任は、想定される潜在的なリスクを網羅的に洗い出し、その性質を分析・整理・評価し、意思決定の基礎情報として提供すべきなのです。

不動産取引における説明義務は法令遵守(コンプライアンス)と、信義則および善管注意義務の二層構造であることを理解しておく必要があります。

前者が法第35条で規定された説明内容であるのに対し、後者は「予見可能性」と「調査の専門性および難易度」によって無限に拡張されます。

例えば近年話題となっている熊の目撃事例を考えて見ましょう。

直接目撃したことがなくても、そのような噂が確認された場合には事実関係と信憑性の程度を確認したうえで、買主や借主の意思決定に影響を与える可能性があると判断される場合には、告知すべき重要な情報となり得ます。

無論、法第35条では熊の出没について説明することを義務としていませんし、単なる噂を不動産営業が口にし、顧客の不安を煽ってはなりません。

積極的な調査義務があるとまでは言えませんが、購入の判断に影響を与えると勘案される場合には、情報収集に努め事実関係を把握する必要があるのです。

1.「予見可能性」の基準:顧客の関心を先回りする

例えば、信義則違反あるいは告知義務違反について裁判で争われた場合、最も重視されるのは「そのリスクを業者が容易に予見できたか」という点です。

これは、顧客が明確に質問しなかった事項であっても適用されます。

●取引目的の把握:顧客の購入目的(静養、子育て、投資など)を詳細にヒアリングし、その障害となり得る事象を網羅的にリストアップする作業が不可欠です。

例:顧客が「子供のアレルギーを抑制するため、静かで空気の良い場所」を求めている場合、近隣に工場や幹線道路が存在しないかだけでなく、過去の公害紛争や環境アセスメントの結果、さらには周辺環境に影響を与える工事等が計画されていないか、また、工事が計画されている場合にはその内容を具体的に調査し、説明する義務が生じます。

この点については、平成14年1月10日の千葉地裁判決が、動機付けられた重要事項に関する判断基準として極めて参考になります。

概要は以下の通りです。

購入の目的:購入者(以下原告)は小児喘息を患う子供のために、環境の良い物件を購入したいとの希望を媒介業者(以下被告)に伝え、被告はその条件に合う物件を紹介したところ購入者も気に入り、売買代金2,750万円の土地建物を購入した。

事実関係
購入直後、隣接地に公園ができ、当該物件から約4mの位置に高さ5mの擁壁が建設された。
これにより、竹や雑木等、購入者の意思決定に影響を与えた自然が破壊された。
被告は、公園が建設されることまでは調査し説明を行っていたが、擁壁が建設されることまでは確認せず、説明も行っていなかった。

原告の主張
原告は環境回復のため建物改築費用約700万円の支出を余儀なくされた。
これは、被告の調査説明義務違反によって生じた損害であるから、その賠償を求める。

裁判所の判断
被告は売買に至る間、原告の希望に基づく物件を案内し、その過程で不動産の購入動機や目的を知り、竹や雑木等の緑やそれによってつくられる空間の存在など、周辺環境を気に入って購入に至った状況を十分に認識していた。
したがって、周辺環境に影響を及ぼすような事情については、特に慎重に調査して原告に情報提供すべき義務があった。
売買契約締結前には既に擁壁の設置は決定されており、それに伴い周辺の竹や雑木等が伐採される可能性は容易に想像できる。
この点について説明を欠いた事実は、媒介契約上の調査義務に違反したと言える。

判決要旨:原告の主張額が直ちに債務不履行と相当因果関係の範囲にあるとは断定できず、また立証が困難であることなど諸事情を考慮して、損害額を300万円とするのが相当。

媒介業者は顧客の希望に基づき物件を提案しますが、購入目的を正確に把握したうえで、その目的を達成する障害となり得る事実が存在しないかについて、特段の注意を払う必要があるのです。

2. 社会情勢と技術的知見の考慮:予見可能性は、取引時点の一般的な社会情勢や技術的知見によっても拡張される性質を持ちます。

例:重要事項説明時に、ハザードマップの説明が義務化されたのは2020年8月ですが、説明は水害(洪水・雨水・出水・高潮)に限られています。

日本は世界でも有数の地震多発国であるため、最大震度1から2程度の地震は毎日のように発生しています。

これは、気象庁が公開している地震情報を見れば一目瞭然です。

液状化リスクや建物の耐震性については重要事項の説明事項とされていませんが、顧客の購入目的や要望によっては、それらについて詳細に調査し、適切に説明する責任が生じるのです。

3. 「容易な調査可能性」の基準:プロフェッショナルに求められる調査能力

不動産のプロフェッショナルとして、一般では入手困難であっても、プロならば容易に入手できた情報の調査や説明を怠った場合、調査義務違反を問われる可能性が高まります。

特に公的情報は、担当部署に照会すれば迅速に入手できる情報ですから、手間を惜しんではなりません。

また、深夜の騒音や異臭、不審者の出没情報、周辺施設の利用状況(ゴミ収集所の管理状況など)は現地踏査を行えば、ある程度の予見は可能です。

法的な説明義務はありませんが、契約の締結判断に影響を与える重要な情報です。

顧客の購入目的に応じて、詳細な調査が必要となる可能性について、注意が必要です。

周辺環境リスクへの対応:嫌悪施設・特殊施設等に関する「予見可能性」の限界

宅地建物取引業法第35条では、周辺の環境に関する説明義務を、明確に規定していません。

これは、日照や騒音、振動、臭気、排煙、防犯、嫌悪施設の有無などに関する事項は主観的な要素が大きく、また日時や気候などによって流動的に変化する要素があるためです。

しかし、それらが契約締結の判断に影響を及ぼすことは明らかなため、取引ごと当該事情の程度や頻度、生活や健康への影響の有無、購入動機などを斟酌し、総合的に判断する必要があるのです。

その際、必要となるのが「予見可能性」です。

これは、顧客の立場にたったリスクの類推能力、すなわちプロフェッショナルとしての高度な想像力と言い換えできます。

実際、周辺環境に関する説明義務違反で争われた裁判例では、各事案の具体的な事情を総合的に斟酌したうえで、契約締結の判断に影響を与える事項か否かが判断されています。

媒介業者が周辺環境について全てを把握するのは困難ですが、特段の希望や条件があると斟酌される場合には、想像力を駆使して可能な限りの調査を実施する必要があるのです。

まとめ

本項を通じ最も皆さんに伝えたかったのは、無限に拡張される可能性がある調査です。

宅地建物取引業法で規定された調査義務を果たせば、ひとまずは安心できるでしょう。

しかしながら、顧客が重視する内容によって、必要とされる事項は流動的に変化します。

無論、どこまで調査すべきかは明確に示されておらず、内容によっては多大な時間と労力が必要となる場合もあります。

どこまでの調査が必要とされるか、思い悩むことが多いでしょう。

その際、自分が顧客ならどう思うか、想像力を働かせることが大切です。

顧客が住宅を選ぶ際、特に重視するポイントをヒアリングすると同時に、先回りして目的の達成を阻害する要因がないかに想いを巡らせ、必要と思われる調査を実施するのです。

この実現は、実務において多大な時間と労力を要する可能性はありますが、「宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方」で法第35条第1項で規定された事項は「最小限の事項を規定したものに過ぎない」と明記されていることを念頭に、不動産のプロフェッショナルとしての責務を果たす必要があるのです。

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