不動産実務を手掛けていると、顧客から様々な相談が寄せられます。
なかでも相隣関係のトラブル相談は、かなりの頻度で発生しているでしょう。
相隣トラブルの相談は、境界や樹木の越境、ペットによる迷惑などが原因となっている場合もありますが、それらは比較的解決しやすい事案です。
根本的な原因を除去できれば、トラブルは終息するからです。
やっかいなのは騒音や臭いなど、主観的な要素が含まれるトラブルです。
その場合、「受忍限度」という概念を判断基準にするしかありません。
例えば、「上階からの音がうるさくて安眠できないので厳重に注意してもらえないか」との要望にたいし、実際にどの程度の音が発生しているのか確認したうえで、「この程度では、およそ受忍限度を超えているとまでは言えません。したがって配慮していただくようお願いするまでが限界です」などと説得するケースです。
しかし、このような説明に対して、「受忍限度って何のことだ」と反論されることも少なくありません。
その際は裁判例などを交え詳しく説明する必要があります。
ところで皆さんは「受忍限度」について、詳細に説明できるでしょうか?
用語の意味を正確に理解せず用いれば、「相手の肩を持つのか‼」と、事態をこじらせる要因になりかねません。
騒音に関するクレーム相談は、ライフスタイルが多様化するにつれ、今後、ますます増加していく可能性があります。
そこで今回は、音を原因とした受忍限度の判断基準、証拠調査の重要性、そして原因除去のために必要な交渉上の注意点について解説します。
受忍限度とは
受忍限度とは、端的に表現すれば「社会通念上、一般人が我慢すべき限界」のことです。
具体的には、裁判所の判例に基づいて判断されます。
受忍限の判断基準については、例えば平成10年7月16日の最高裁判決で、以下のように判示されています。
1. 侵害行為の態様と侵害の程度
2. 被侵害利益の性質と内容
3. 侵害行為の持つ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等との比較検討
4. 被害の防止に関して採り得る措置の有無及びその内容、効果等の事情
これらを総合的に考察して決定する必要があるのです。
もっとも実務上では、総合的な判断として受忍限度内である旨を説明すると、「それなら裁判で解決する」と息巻く方もおられます。
裁判を提起するのは自由で、その権利は誰にでも認められています。
私たちには、止める権利も義務もありません。
ですが受忍限度を超えているが証明できる証拠がなくては、勝訴する可能性は低いでしょう。
立証責任は原告側にあります。
裁判に限られず、騒音元である隣家や上階にたいし注意を促す場合にも、客観的な証拠を提示してお願いするほうが改善の可能性も高まるのです。
それを怠り、主観的な見解だけでクレームを入れると、事態は拗れます。
相談を受ける私たちは、それを理解しておく必要があるのです。
立証の重要性
騒音の原因となった振動により、建物の損壊や地盤沈下が発生した場合、もしくは騒音が原因で難聴を発症した場合であれば受忍限度を超えていると判断される可能性が高いでしょう。
これは具体的に裏付ける証拠があるからです(無論、振動や騒音との因果関係を立証する必要はあります)。
一方で証拠があっても具体性に欠ける場合は、受任限度内と判断されます。
筆者の経験上、騒音相談の8割以上は、環境基準(用語の詳細については後述します)に照らせば受忍限度内でした。
そもそも「音」の感じ方には個人差があります。
例えば小学校の校庭で遊ぶ子供たちの声も、人によっては好ましく、また煩わしいと感じるでしょう。
ライフスタイルによって、迷惑となる時間帯も影響を受けるでしょう。
例えば夜勤があり、日中の睡眠を余儀なくされる方は日中の騒音に敏感です。
そこで日中においても閑静なエリアを要望される場合が多いでしょう。
そのような条件を承知したうえで物件を紹介した場合、主観と合わなければ一悶着あります。
平成30年に東京地裁で判決された裁判(平成30年12月12日ウエストロージャパン)は、まさにその事例です。
原告は看護師で、当直勤務が多いこともあり、楽器不使用の閑静な転居先を希望していました。
媒介業者から紹介されたのが、居室に楽器不使用の特約が付された物件です。
ただし、物件入口付近には、ピアノ教室の存在を示す大きな看板が設置されており、建物1階でピアノ教室が運営されていました。
楽器不使用は建物全体のうち、居室にのみ付された特約だったのです。
原告は一旦、入居しますが、ピアノ教室の騒音被害があるとしてすぐに退去します。
そのうえで貸主側媒介業者は、原告が日中でも静かな環境を求め楽器不使用の物件を探していかことを知っていたのだから、建物全体で楽器不使用なのかを調査する必要があり、それを怠ったとして提訴したのです。
前提としてピアノ教室は、レッスン回数により時間帯が一定とは言えないまでも、遅くとも午後8時までに終了していました。
裁判所は当直の多い原告が、ピアノ教室からの騒音により強いストレスを感じていたことは認めましたが、それをもっても以下の理由を覆すものではないとして、以下の理由で原告の主張を退けました。
①騒音の程度が「環境基準」(裁判時は平成10年9月30日環境省告示64号)を超えていると裏付ける、客観的証拠がない。
②本件建物において、原告を除きこれまでの苦情が皆無である。
③苦情が皆無であることに照らせば、原告の主張は個人的な不快感にとどまり、騒音が社会生活上受忍すべき限度を超えているといえない。
④原告と貸主側媒介業者との間において、なんら契約を締結されていないのだから、債務不履行の主張自体が失当といえる。また日中、静かな環境の居住物件を探していたことを知っていたとしても、建物全体として楽器使用不可であるか調査及び告知する義務があるとは言えない。
これに類似するケースはよくあります。例えば、閑静な住宅地と言われる場所で新築住宅を建築している最中、「騒音が迷惑だから工事を差止めてくれ」などのクレームが入ることはよくあります。
また新設したエアコンの室外機から発せられる騒音が迷惑だと隣家からクレームがつくケースも珍しくありません。
騒音に関するクレームは、ライフスタイルの多様化により、今後ますます増加していく可能性があるのです。
理解を深めておきたい「環境基準」について
騒音問題の相談に応じる私たちは、環境省から交付されている環境基準(正式名称:騒音に係る環境基準)を、正確に理解しておく必要があります。
環境基準に係る水域及び指定については、当該地域の属する都道府県知事に委任されています。
つまり、全国一律の基準ではないということです。
一般的な認識では昼間50~60dB(デシベル)以下、夜間40~50dB以下が環境基準と解されているでしょう。
ですが「地域の類型」によって基準値は異なります。
地域の類型は、都市計画法第8条第1項第1号で定められた用途地域に準拠したうえで、住宅の立地状況や土地利用状況を勘案して分類されています。
AA 用途地域によらず療養施設や社会福祉施設が集合して設置されている地域
A 第1種低層住居専用地域・第2種低層住居専用地域・第1種中高層住居専用地 域・第2種中高層住居専用地域・田園住居地域
B 第1種住居地域・第2種住居地域・準住居地域
C 近隣商業地域・商業地域・準工業地域・工業地域
また地域類型によらず、以下に該当する場合には基準値が下記表のとおりになります。
幹線道路に近接している場合には、さらに基準値が緩和されます。
また空港が最寄りにある地域では、航空機騒音に係る環境基準が、別途設けられている場合もあります。
いずれにしても都道府県知事が委任された権限により、環境省の定めを下回る基準値を指定している場合があります。
そのため正確な地域類型や環境基準を確認するために、物件所在地の市区町村ホームページで公開されている環境基準を確認する必要があります。
時間区分についても同様です。
夜間 PM10:00~AM6:00
環境庁は昼間と夜間の時間帯につて、上記のように区分していますが、地域によっては昼間をAM8:00~19:00と区分している場合もあります。
確認を怠らない注意が必要です。
客観的証拠は不可欠
騒音の測定には専用の機器が必要です。
携帯アプリを利用すれば無料で騒音計をダウンロードできますし、通販サイトでも2,000円前後から販売されています。
ですがアプリや廉価な商品の多くは、騒音を定量的に把握するだけの機能しか有していません。
データロガー付きで20,000円以上、拡張性に優れ低音周波測定機能などが付与された精密騒音計になると、最低でも100,000円以上する機種を選択する必要があります。
騒音の程度を知るだけなら、廉価な測定機で十分です。
しかし音の発生源を特定するためには解析が必要です。
たとえばマンションの天井や壁方向から音がする場合、短絡的に考えれば上階や隣室が音の発生源であると疑いたくなります。
ですがマンションの構造上、必ずしも真上の部屋や隣室が発生源であるとは限りません。
階下のエアコン室外機やピアノの音が、振動として床や壁を伝い発生している可能性が考えられるのです。
音の原因や発生場所が特定できていないのに、思い込みで真上の部屋や隣室に注意を促せば、不要なトラブルに発展する可能性があります。
提訴を目的としなくても、不要なトラブルを防止するためには客観的な証拠の収集が不可欠です。
具体的な証拠もなく、顧客の主観的な意見だけを根拠に、「お隣の方から、お宅が発生する騒音で困っているので、注意して欲しいと依頼を受けました」と訪問しても、経験的に、相手方が騒音を発生していると信用してくれません。
そのため協調的な解決につながらない可能性が高く、「証拠もあげず、言いがかりですか」と、反感を買う可能性が増すでしょう。
専門業者の活用を検討する
昼夜問わず基準値をはるかに超えた騒音が、常時発生していることなど稀です。
したがって騒音測定をするためには、発生したタイミングを見計う必要があります。
したがって時間拘束は必然で、さらに専門的知識も必要です。
相談に応じるだけなら良いのですが、交渉まで受任する場合は十分に検討する必要があります。
最近は騒音測定や解析はもちろん、手紙などによる騒音や被害通知、苦情を代行する業者も増えてきました。
騒音の発生時間帯は予測できない場合もあることから、一定期間(3日間程度~)計測器を貸出し、それによる測定値を分析し解析報告書の作成までを手掛けてくれます。
料金は通常の音や、低周波、周波数など、依頼したい内容によって料金も細かく分かれますが、一般的な住宅地域で50,000円から100,000円の範囲が最も多い設定金額となっています。
また解析結果に基づく苦情代行業務は、手紙や電話、直接訪問など方法により別途金額が必要となり、その費用は概ね50,000円から90,000円の範囲で設定されています。
つまり測定から解析、苦情代行までを専門業者に依頼した場合、最低でも100,000円以上の経費が必要になるのです。
そのように説明すると「なぜ被害を受けている側が費用を負担しなければならない」と、言われます。
私たち不動産業者なら、無償で対応してくれると思っておられるのでしょうか?
無論、顧客が困っているからとの理由から無償で引き受ける場合もあるでしょう。
その判断は自由です。
しかし無料での対応は、業務の健全運営を妨げます。
調査や説明不足が起因して不利益が生じているのなら話は別ですが、そうではない場合、発生原因の特定や、それを防止するため必要な苦情の申立は顧客が負担すべきものです。
専門家が動く以上、経済的負担が生じるのは当然だと理解を促す必要があるでしょう。
交渉はどのように展開する?
騒音に関する相談を私たちが受けた場合、まず下記の状況について正確に把握する必要があります。
1. 騒音の内容(種類、時間帯、発生頻度と継続時間)
騒音が、ピアノなど楽器演奏によるものか、排水音や足音などいわゆる生活音であるかなど、種類について質問すると同時に、発生時間帯について正確に把握する必要があります。
また発生頻度と継続時間についても把握が必要です。
例えば1週間のうち1、2回ランダムに、「ドスン」という重量衝撃音が瞬間的に発生しても環境基準値に抵触しません。
無論その音で、眠りが妨げられるのは問題ですが、法的に争うことはできません。
この場合、音や発生場所の特定をしたうえで解析結果を提示し、「このような状態が確認されるので配慮して欲しい」とお願いできるだけです。
2. 過去の対応歴
過去に音の発生源となる先方にたいしアプローチしたことがあるか、またその時の対応がどうだったのかは大切な情報です。
通常であれば常識的な範囲で苦言を呈した場合、多少なり改善されている筈です。なのに改善されていないのなら、関係性がこじれている可能性が疑われます。
解決方法を検討する際に必要な情報となりますから、聞き漏らしがないよう注意しましょう。
3. 希望する解決方法について質問する
多少なり改善されれば良しとするか、はたまた迷惑行為の代償として損害賠償を請求したいのかなど、相談者が求める解決方法によって対応も変わります。
後者の場合、環境測定業者や弁護士の介入は必須です。
また改善だけを希望する場合でも、音を発生させ迷惑をかけていると自覚してもらうためには、証拠の提示が必要です。
ただ「迷惑だから静かにして欲しい」との要望だけでは、発生元に理解を促すのは難しいでしょう。
私たちは質問により現状を把握し、騒音測定を実施します。
結果次第では、受忍限度を理由に我慢を促すケースもあるでしょうし、相手方に苦情を申し立てるのが最良の判断とされる場合もあるでしょう。
客観的な視点を崩さず、検討結果について分かりやすく説明することが大切です。
また検討の結果、騒音主へ苦情を申し立てる際には以下のような配慮が必要です。
●苦情申立には手紙、電話、訪問による方法があるが、可能な限り訪問を優先する。
経験上、下記の順で改善される可能性が低くなります。
訪問〉手紙〉電話
とくに交渉時に証拠を提示できない電話は理解を得るのが難しく、可能な限り避けたほうがよいでしょう。
●中立的立場を崩さず、客観的な視点で交渉に臨む。
損害賠償請求が目的(この場合、私たちは積極的に関わってはないません)の場合を除き、通常は速やかな状況改善が希望されます。
したがって受忍限度を超えている、もしくはそれに近い測定結果が得られたとしても、それは騒音元に迷惑の程度を理解してもらう材料に過ぎません。
苦情を申し立てる際にも紳士的に、誠意をもって行う必要があるのです。
●手紙を利用する場合の注意事項
手紙により苦情を伝える場合には、相手方に不快感を抱かせる表現が使用されていないか十分留意しましょう。
後日紛争を回避するためは、送付する文章は内容証明郵便が望ましいのですが、人によっては抵抗感を覚える場合があります。文面と併せて検討する必要があるでしょう。
まとめ
不動産業者にはトラブル処理能力が必須です。
言い換えればトラブル処理能力の優劣が、不動産業者の実力を図る試金石だと言えるのかも知れません。
一般的な企業従事者にもトラブル処理能力は不可欠ですが、高額な個人財産であると同時に生活拠点でもある不動産は、様々なトラブルの温床になりえます。
したがって民法などを援用するだけでは解決できず、経験則や裁判例を駆使しながら解決に尽力する必要があるのです。
もっとも、顧客から寄せられる相談は多種多様です。
SNSや電話相談で簡単に決着するものもあれば、今回、解説した騒音トラブルのように相応の労力が必要なものもあります。
たとえ無償でも、相談に応じて解決に動けば、法的には委任契約が成立します。
委任契約に完成義務はありませんが、受任による責任(道義的責任)は生じます。
相談者の求める結果が得られなければ、残るのは不信感だけです。
トラブルの全容が把握できていない状態で安請け合いしない。
これが鉄則なのです。