【意思能力の欠如が疑われる場合に備えておきたい】行為能力に関する判断基準

注目を集める刑事事件が発生した場合、検察が実施を検討するのが起訴前簡易判定です。

これは医師が被疑者を診察し、その精神状態について意見を述べる手続きです。

刑法第39条では『心神喪失者の行為は罰しない』、『心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する』と定められているため、事前に事理弁識能力(物事の善し悪しが判断できる能力)や行動抑制能力(自身の行動を律することができる能力)を判断するために、起訴前簡易判定が実施されるのです。

同様に民事においても、「意思能力」に問題がある場合の意思決定は無効とされます。

正常に判断できない状態での意思決定は自由意思の帰結ではありません。

近代民法は基本原理として、個人が自由な意思に基づき私的生活関係を決定し、国家は個人が下した決定を尊重するとした「私的自治の原則」があります。

ただし、その前提として意思決定が正常な状態で行われている必要があります。

そのため心裡留保(民法第93条)、錯誤(民法第95条)、詐欺又は脅迫(民法第96条)により意思決定された場合には無効にするとの定めが設けられているのです。

しかし、一見して本人同意による契約の体裁が取られている場合、それらを援用して解除するのは容易ではありません。

主張する側に立証責任があるからです。

したがって、実務上、不動産の売買契約締結後(賃貸借契約含む)に解除で争う場合には、①相手方の債務不履行による解除、②契約不適合による解除、③違約解除のいずれかで争う場合が多いのです。

もっとも、契約当事者の意思能力が欠如している場合には、争う余地もなく契約が無効とされます。

民法第3条の2で「法律行為の当事者が意思表示した時に意思能力を有していないときは、その法律行為は、無効とする」と定められているからです。

ただし、会話が正常に成り立たない、もしくは常軌を逸する言動が確認される場合などを除いて、医師でもない私たち不動産業者が意思能力の欠如を判断するのは困難です。

だからといって、高齢者は認知能力に懸念があるとして一律に契約(交渉含む)を拒むのは、道義的な問題もさることながら、差別にあたるとして問題が生じる可能性があります。

不動産実務において、顧客の言動等から意思決定能力が欠けていると感じた場合、私たちはどのような対応を心がける必要があるでしょうか。

また、適切に判断するための質問方法はあるのでしょうか。

今回はそれらの判断基準と判定方法を中心に、対応方法も含め解説します。

正確に理解しておきたい、認知能力と意思能力

例えば、認知症を発症している場合、意思能力が認められない可能性があります。

しかし、症状の程度にもよるため、「認知症=意思能力の欠如」と安直に判断することはできません。

医師から認知機能の低下が指摘されている場合、その程度に関わらず、単独での法律行為(契約締結等)ができないと判断されがちです。

しかし、法令遵守が求められる私たち不動産業者は、世間の思い込みに流されて認知能力と意思能力を混同してはなりません。

認知能力とは、記憶、理解、判断、思考など脳が情報を処理する能力です。

一方、意思能力とは、自分の意思で決定し、行動を起こす能力です。これらの能力は密接に関係していますが、厳密には異なるものです。

したがって、加齢に伴い多少認知機能に影響が生じているからといって、当事者の意思能力が全て否定されるわけではありません。この見極めが私たちには重要なのです。

意思能力の判断基準

意思能力は個々の行為者ごとに判断されます。

目安として小学校低学年程度の知能が基準であるとの説もありますが、民法第5条で「未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない」と定められているように、そのレベルの意思能力で不動産売買契約等の締結が有効とは言えません。

意思能力に関する裁判例は多くありますが、これらは法律行為の性質、障害の程度、法律行為の客観的必要性や合理性などについて総合的に考慮して個別に判断されています。

つまり、画一的な判断基準は存在しないのです。

裁判例では、長谷川式知能評価スケール(HDS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)の評点が数多く採用されています。これらの評価方法を理解することで、おおよその判断は可能になります。

長谷川式知能評価スケールは、2004年に厚生労働省の検討委員に参画して「痴呆」を「認知症」へ置き換えることに貢献された、認知症医療の第一人者である聖マリアンヌ医科大学名誉教授の長谷川和夫博士が考案した簡易的な知能テストです。

改訂長谷川式簡易知能評価

質問者が被験者に対して時間や場所、記憶等の見当識などを問う9つの質問を行い、30点満点で評点を算出します。

評点が20点以下となる場合には、認知症である可能性が高いと判断されます。

ミニメンタルステート検査(MMSE)も評点式で、認知機能の点数化により客観的なレベルを把握する点は同様です。

ただし評点項目が長谷川式簡易知能評価よりも多く、文の復唱や口頭指示、書字指示や図形模写などの11項目が設問されています。

ミニメンタルステート検査シート

ミニメンタルステート検査はアメリカで発祥し、世界中で採用されている検査手法ですが、長谷川式簡易知能評価と比較すれば手順も複雑です。

私たちが顧客を被験者扱いして質問を行うことは容認されませんが、簡単な質問をして適切に答えられるかどうか、話の内容が論理的で一貫しているかどうかを観察することは可能です。

そもそも私たちの目的は、意思決定能力に懸念がないかを判断することです。したがって、いずれの検査方法も厳密に実施する必要はありません。

しかし、質問内容と評点の判断基準を理解しておくことは実務上有用です。

意思能力を判断するための留意事項は以下の通りです。

1. 会話能力
会話している内容に一貫性があり、論理的であるかを観察します。商談中にさりげなく「そういえば、今日は何日の何曜日でしたっけ?」などと自然な形で質問を織り交ぜることで確認することが可能です。

2.記憶能力
最近の出来事や日常生活に関する情報が正確に記憶されているかどうかを確認します。また、会話に過去の話を織り交ぜ、整合性のある記憶が保たれているかどうかを確認します。

3. 判断力
契約締結による利益や損失について、適切に判断できているかを確認します。例えば、「家を売却したらここに住めなくなりますけど、お友達と離れるのは淋しくないですか?」などと質問し、行為に基づく不利益が正しく認識できているかを確認するのです。

4. 感情の安定性
極端な感情変化や、不安定な行動が見られないかを確認します。機嫌よく質問に答えていたのに、突然、怒り出したり泣き出したりする場合は要注意です。

5. 健康状態
健康状態を確認し、それが意思決定に影響をもたらしていないか確認します。

質問する際、難しく考える必要はありません。

長谷川式知能評価スケールの質問事項を見ても分かるように、問うべきはシンプルかつ明確な質問です。

そのうえで返答内容や行動を注意深く観察し、判断に必要な情報を記録していくのです。

顧客の意思決定能力に疑念がある場合には慎重な対応が必要です。

契約を急がず、十分に説明し、冷静に判断します。交渉経緯は必ず記録しましょう。

これにより、後日トラブルが生じた場合の証拠とします。

意思能力に懸念がある場合

意思能力のない方との法律行為は無効とされますから、迂闊に取引を進めると不測の事態を引き起こすことになります。

前述した確認方法により疑わしいと考えられる場合は、原則として一旦取引を控えることが肝要です。

とはいえ、私たちは医師ではありません。確定診断はできないため、思い込みに過ぎない可能性もあります。

また、当人から売却もしくは購入したいと食い下がられる場合もあるでしょう。

その場合にはまず、「行為制限能力者」であるか否かを確認します。

行為能力の確認には、下記3つに区分された民法上の概念について理解しておく必要があります。

①権利能力

法律上の権利や義務の主体となれる能力です。

例えば、売買契約において、買主には代金を支払う義務と物の引き渡しをうける権利が、売主には物を引き渡す義務と代金と受取る権利が発生します。

いわゆる双務契約と呼ばれるものです。

これらの権利と義務が法的行為により本人に帰属するのは、当事者に権利能力があるからです。

②意思能力

自らが行った法律行為の結果を判断できる能力です。

民法の概念では、意思能力に欠ける状態を、およそ10歳未満の子供、重度な精神病の罹患者、泥酔者、認知症などとしています。

しかし、不動産取引は契約当事者にこれ以上の意思能力が求められます。

③行為能力

前述した権利と意思能力を有し、単独で法律行為を行える能力です。

行為能力が認められる相手方との取引は法的に有効です。

しかし、懸念がある場合には、「登記されていないことの証明書(登記事項証明書)」を提出してもらう必要があります。

登記事項証明書

証明書は法務局で取得できます。

対象者本人または4親等内の親族から委任(委任状必須)されることで代理取得できます。

しかし意思能力を観察する意味でも、本人に取得してもらうほうが良いでしょう。

経験上、登記事項証明書の提出を拒否する場合は、制限行為能力者である可能性があります。

以下に、制限行為能力者の種別や該当要件、保護者や制限内容をまとめました。

制限行為能力者,該当要件,保護者,制限内容

登記事項証明書に記載がないからといって行為能力に問題がないとまでは言えませんが、少なくてもそれを根拠に契約が解除される可能性は否定されます。

制限行為能力者との不動産取引でも取り消されないケース

制限行為能力者との不動産取引であっても、以下のようなケースでは取消が認められず、法律行為は有効とされます。

行為能力者であると偽った場合

制限行為能力者が保護者の同意書を偽造して提示した場合などです。

判断能力が欠けていたとしても、他人を騙す形で行われた法律行為までは保護されません。

「追認」された場合

制限行為能力者との法律行為は、後日、取り消される可能性が高いものです。

防止するには、1ヶ月以上の期限を定め保護者に対し契約の承認(追認)を求めます。

期限内に回答がない場合、了承したと見なされます。

法定追認事項に該当する場合

制限行為能力者と法律行為をする場合、あらかじめ保護者の承認を得るのが王道です。

しかし、以下の場合は法定追認となる可能性があります。

法定追認事由,事例解釈

これらが認められた場合は法的に追認されたこととなり、契約を取り消すことができません。

まとめ

制限行為能力者と直接取引した場合は、後日契約を取り消されるリスクが伴います。

このリスクを回避するためには、怪しいと感じた時点で長谷川式知能評価スケール等に基づく質問を織り交ぜて認知能力の程度を確認します。

その結果、制限行為能力者であると思われる場合には、売却等に必要な書類であるとして「登記されていないことの証明書」の提出を求めるのです。

また、当人が制限行為能力者であると告知した場合には、交渉相手を保護者に切り替えます。

また、保護者が遠方である場合などにおいては「催告」も有効です。

いずれにしても、疑わしいと感じる場合には制限行為能力者であるか否かを確認し、慎重な段取りを踏むことが肝要です。

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