地所永代売買禁制の解禁により土地売買が可能に

土地の売買が全国的に認められるようになるのは、1872年(明治5年)に発布された「地所永代売買ヲ許ス」との、太政官布告第50号によってです。

翌年には「地租改正」がおこなわれ私的所有権が認められました。

1872年から1873年は、土地制度の歴史のなかで大きな変化があった時期です。

当時の日本社会の背景を調べていくと、明治維新の前から商業立国的な思想が生まれており、不動産業の誕生と発展に影響を与える条件が、整備されていった様子を窺うことができます。

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明治維新から地租改正まで

慶応4年が明治元年と改元されるのは1968年10月のことです。その前年、江戸幕府は大政奉還により政権を朝廷に返上、1968年1月には王政復古の大号令が発せられました。

1967年2月にはすでに明治天皇は即位されており、1968年4月朝廷は「五箇条の御誓文」を発布し、明治天皇は同11月26日江戸に行幸されます。

このとき江戸は東京に改称され明治時代がスタートしたのです。

明治新政府の最大の課題は “財政資金” です。日本全国の土地は徳川家をはじめとして各藩の大名家が支配しており、新政府が国家運営をおこなっていくための財政資金を賄うには、新たな税制が必要でした。

江戸時代の税制は「年貢」であり、米または銭で納税していましたが、税額の算定には土地からの収穫量すなわち “検地” にもとづくデータが基礎になっていました。

米の収穫量が基礎になっていると、農地以外への課税ができません。そこで考えられたのが「地租」です。つまり土地そのものに課税する考え方が生まれたのです。

地租改正は1873年であり、王政復古から6年目にして財政基盤を形成する法制度が整ったわけです。

廃藩置県により大名家は破たん

地租改正をおこなうには前提条件が必要でした。それは土地の所有権に対し、新政府の権力が及ぶ体制です。

新政府が樹立されたといえども、日本全国には約300の藩が存在し、領民は藩に納税をおこなっていました。

日本全国の石高は約3,270万石(明治5年)あり、宮家・公家領は3万石程度であったとみられることから、新政府の財政はきわめて貧弱なものであったと考えられます。

財政基盤の強化のため、地所永代売買禁制を解禁する前に大きな改革がふたつあります。

1.版籍奉還
2.廃藩置県

【版籍奉還の意義】
各藩の領地や領民は藩主の支配下にありました。

そこで新政府の中心となっていた薩長土肥4藩は、政府へ領地領民を返上することにしました。他の藩もこれに倣い全国の土地と人民が政府の支配下におかれました。

版籍奉還は1869年(明治2年)1月に薩長土肥4藩が願い出、これにつづくように諸藩も上表し約1年をかけ実行されたのですが、あまり混乱を生むことなく進んだのには理由があります。

それは “藩主の多くが新政府へ返上してもすぐに再交付される” と考えていたようなのです。

しかしその思惑は翌年の「廃藩置県」により、裏切られるかたちとなるのでした。

【廃藩置県の意義】
版籍奉還により旧藩主は「知藩事」に任命されます。

約300の藩の施政権は旧藩主にあることに変わりなく、新政権はより強固な中央集権国家を建設するため、1871年「廃藩置県」を断行しました。

これにより旧藩主の権力はなくなり約300あった藩は72の県に統合され、県の施政権は新政府が派遣した “県令” が掌握するようになります。

廃藩置県は旧幕藩体制の崩壊を意味するもので、武士階級の没落をも招くことになります。

革命的な大きな変化であったわけですが、廃藩置県が成功した原因として、新政府が創設した直属軍 “親兵” の軍事的優位性と、各藩の財政破綻が進んでいたことが考えられるのです。

土地私有権の確立

廃藩置県により土地の所有に関する概念が変化しました。

江戸時代は将軍が大名に領地を与え、大名は領地内の領民に土地を使用(所持)させるという、階層的な所有権であり “公的所有権” と考えられる土地制度でした。

江戸時代の土地制度

廃藩置県により大名の権限は消失し、新政府(天皇)が人民に土地を与え、納税させる制度に変わりました。

江戸時代の土地制度

地租改正がおこなわれると、土地所有権は “私的所有権” の性格を帯び、土地の売買自由化とともに近代的な土地制度に移行していったのです。

江戸時代の土地制度

このような土地所有権に関する考えかたが大きく変わった契機、としてあげられているのが「税法改革ノ議」です。

「税法改革ノ議」は幕府蕃書調所教授から新政府の役人となっていた「神田孝平」が、1869年(明治2年)に建議したもの。

さらに1870年(明治3年)には「田祖改革議」を建議し、後の地租改正につながる考え方が、新政府上層部に浸透していったといわれています。

加えて神田孝平は9年前の1861年に「農商弁」を著し、 “商業立国論” を唱えていたことが、慶應義塾大学学術情報リポジトリ所蔵「日本における土地所有権の成立:開発法学の観点から」で触れられています。

農本主義から商業立国をめざす思想の萌芽をみる思いがします。

因みに神田孝平は地租改正の建議をおこなった後、兵庫県令・元老院議官・貴族院議員を歴任し、男爵に叙任された人物です。

土地私有権確立と土地の売買自由化に貢献した、重要な存在だったのかもしれません。

このような背景のなか、地租改正に先立って「地所永代売買禁制の解禁」をおこない、土地売買自由化の動きがはじまったのです。

人口減少がおきていた東京

この時期に珍しい現象が東京でおきていました。

江戸末期には100万人を超えていた東京ですが、明治維新の混乱により、東京に居住していた各藩の武士は国もとに戻ってしまいました。

そのため東京では人口減少がおき100万人を切っていたのです。下図のように100万人超えの水準に戻ったのは明治11年になってからでした。

明治5年 859,345
明治6年 887,322
明治7年 932,458
明治8年 986,091
明治9年 1,027,517
明治10年 890,681
明治11年 1,072,560
明治12年 1,084,025
明治13年 1,084,745
明治14年 1,121,560

単位=人
引用:東京都「東京都の人口推移 - 東京都の統計」[xls]

拡大と成長をつづけてきた東京で人口減少があったのは、この頃だけだったのではないでしょうか。

参考サイト

Wikipedia「石高」
Wikipedia「公家領」
国立公文書館「版籍奉還と廃藩置県」
歴史まとめ.net「廃藩置県と地租改正」
Bonvenon al la Hejmpaĝo de ISSIE「版籍奉還から廃藩置県まで」
国税庁「土地税制史」

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