プレハブ住宅の台頭

住宅産業発展の歴史を概観すると、次のように大きな括りをすることができます。

・工業化住宅(プレファブ住宅)の【草創期】
・政策的に工業化住宅に重点をおいた【発展期】
・在来木造工法が復活する【木造復興期】
・新築からリフォームへシフトする【転換期】

【草創期】についてはすでに『大和ハウス工業がミゼットハウスを発売』で触れました。

ここでは昭和40年ころから昭和55年ころまでつづく、工業化住宅の発展についてみていきます。

『大和ハウス工業がミゼットハウスを発売』に掲載した、最近のハウスメーカー売上ランキング表を再掲します。

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昭和40年代には以下の有力ハウスメーカーが名乗りをあげています。

・セキスイハイム
・旭化成ホームズ
・三井ホーム

そして工業化住宅の発展を支えるさまざまな仕組みが、昭和40年前後に生まれました。

・昭和37年 日本住宅パネル工業協同組合設立
・昭和38年 プレハブ建築協会が設立
・昭和40年 日本建築センター設立
・昭和41年 建設省が「住宅建設の工業化の基本構想」を発表
・昭和45年 「パイロットハウス技術考案競技」実施
・昭和48年 住宅部品開発センター(現 ベターリビング)設立

プレハブ建築協会の役割

プレハブ建築協会は正会員37社、賛助会員27社で昭和38年1月31日に設立総会を開催、昭和39年1月8日通産省、そして1月30日建設省の許可を得、社団法人として昭和39年1月31日に正式発足します。

現在の正会員は33社で、ハウスメーカー系10社、中高層PC工法系7社、鉄骨プレハブ系12社、ゼネコン系4社で構成されています。

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出典:一般社団法人プレハブ建築協会

設立時は次のような専門部会を設置し、プレハブ技術に関する普及促進や法整備に関する活動をおこないました。

・公共住宅部品部会
・住宅部会
・一般建築部会
・材料部会
・設備部会
・施工機械部会

現在は次の3つの部会が活動しています。

・PC建築部会
・住宅部会
・規格建築部会

プレハブ建築協会は通産省と建設省が強力にあと押しした団体であり、国家政策として “工業化住宅” の促進を図ったのでした。

工業化住宅を支える技術の開発

住宅の工業化を成功させるには “部品化技術とアッセンブル技術” の進化が必要です。

部品種類を少なくして大量生産によるコストダウンを図りつつ、少ない種類の部品による組み合わせで多様な住宅を造る、アッセンブル技術のシステム化が重要といわれます。

工業化住宅メーカー(ハウスメーカー)は、住宅を造る部材をパネル化やユニット化により、住宅部品として建築現場に搬送します。

建築現場では人力やクレーン車などにより搬入・組立をおこない、短い施工期間で住宅を完成させることができるようになります。

部品の組立方法は構造耐力上も重要なものであり、通常の「建築確認制度」のなかでは、構造上の安全性を確認することができません。

そのため各社が開発する施工方法や組立方法は、構造的な安全性の評価が必要でした。その役割を担ったのが「日本建築センター」です。

昭和30年代にはすでに、大和ハウス、積水ハウス、ナショナル住宅と鉄骨系工業化住宅が先行していました。

後発する企業にとって同じ工法で参入するのは不利であり、異なった工法開発が必要とされたのです。

ミサワホームのような “木質系接着工法” という特殊な技術は難度が高く、新規参入にはコンクリート系やユニット系が注目されたのでした。

コンクリート系住宅の開発

1969年(昭和44年)大手ゼネコン大成建設は、コンクリート系工業化住宅「パルコン」を発売します。

すでに中堅ゼネコンを中心にPC版工場は全国にたくさんあり、PC工法による住宅開発がおこなわれたのは必然的なことでした。

大成パルコンは大型パネルを組立てるもので、住宅プランは規格型になってしまうことが欠点でした。

そこで新規参入する企業は、もっと自由度を高めたPC工法の開発を進めたのです。具体的には幅1,200㎜程度のサイズを小さくしたPC版で壁を組立てるものでした。そのため住戸のサイズは1.2メートル単位で変更でき、プランの自由度が圧倒的に高まったのです。

この方式で住宅事業を開始した企業に「レスコハウス」や「大栄プレタメゾン」がありました。そのほか小規模な企業にも開発に乗り出すケースが多くみられ、小型PC版工法の重要なポイントである「PC版同士の接合方法」開発は、激烈な競争がおこなわれていました。

一方、旭化成は傘下に軽量気泡コンクリート版(ALC)を製造する旭化成建材を擁しており、鉄骨躯体とALC版を組合せた、新しいコンクリート系住宅「へーベルハウス」を昭和47年に発売します。

化学系企業による住宅事業への参入は、積水化学そして旭化成とつづくのですが、昭和49年には三菱グループからハウスメーカーを目差す動きもありました。

三菱には「三菱地所」が大デベロッパーとして、確固たる地位を確保していました。昭和50年に至り「住宅事業研究室」を設置し、昭和54年、昭和55年に、改良型在来木造工法・重量鉄骨造・ツーバイフォー工法と3種類の「ASSET」シリーズを発売します。

のちに「三菱地所ホーム」として独立しますが、工業化住宅というよりも “注文住宅に特化したハウスメーカー” という道を歩みます。

三菱グループでは同じころ三菱油化(現 三菱ケミカル)内にて、コンクリート系工業化住宅の開発をおこなうプロジェクトチームがありました。「大栄プレタメゾン」のような小型PC版による、自由度の高い住宅開発を目差していましたが、昭和52年初めにオイルショック後の不景気の影響を受け、プロジェクトが中止されたことはあまり知られていません。

ユニット工法による住宅の開発

積水ハウスを誕生させた積水化学工業は、再びハウジング事業を社内に立ち上げます。積水ハウスは鉄骨系の軸組工法でしたが、新たにチャレンジしたのが “ユニット工法” でした。

商品第1号として開発されたのが「セキスイハイムM1」です。

開発者は当時、東京大学建築学科大学院内田祥哉研究室にいた建築家大野勝彦であり、ユニット工法を開発した根底には次のようなコンセプトがあったといいます。

“住宅の質の問題、とくに耐久性と時間変化に対するフレキシビリティのレベル、すなわち社会的住宅ストックとしての価値のレベルでとらえなければ意味がない。”
引用:セキスイハイム「建築家・大野勝彦氏及び『セキスイハイムM1』「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展で紹介」

セキスイハイムのデビューは昭和45年でしたが、昭和52年にはトヨタ自動車工業が鉄骨系ユニット住宅と、コンクリート系ユニット住宅を発売開始しました。

ほぼ同じころ、乳製品メーカーのヤクルトが九州に広大な工場を設置し、鉄骨系ユニット住宅の生産をおこなっていたのですが、このことも今ではあまり知られることのない歴史の事実です。

政府が主導した工業化住宅

昭和40年代は政府が積極的に工業化住宅を広める政策を実施しました。

1966年(昭和41年)建設省は「住宅建設の工業化の基本構想」を発表します。このなかで次のごとく工業化の必要性を説いています。

“住宅建設5ヶ年計画を円滑にすすめるために、住宅建設の工業化を強力に推進し、材料および部品の工場生産化と現場作業の工場への転換による生産性の向上を図ることが必要である。”
引用:monotsukuri.net「日本における住宅部品産業の発展」

1970年(昭和45年)には建設省が主導した “技術コンペ” が実施されます。
パイロットハウス技術考案競技」は建設省と通産省が共催した事業であり、工業化住宅の普及をすすめるため、ゼネコンやハウスメーカーからの先進的な技術提案を公募するものでした。

当時では画期的といえる、住戸ユニットの組合せによる集合住宅の建設などの提案と、住戸の分譲がおこなわれましたが、残念ながらその後の事業化にはつながりませんでした。そしてパイロットハウスの経験は次に「ハウス55プロジェクト」へつながりますが、これは改めて触れる予定です。

工業化住宅は “部品化技術とアッセンブル技術” の進化が必要と述べましたが、施工者によってバラバラになりがちな品質を一定レベルに維持するためには、部品の互換性や規格の統一なども必要になってきます。

そこで設立されたのが、昭和48年の住宅部品開発センター(現 ベターリビング)です。

統一規格による部品の生産は、ハウスメーカーや建設業者を問わず、共通した方法により建築現場でアッセンブルされるようになります。

特定のハウスメーカーが開発した部品の場合、当該ハウスメーカーの住宅にしか使用できませんが、共通した方法により組立てられる統一規格の部品生産は、住宅の生産性向上に大きく貢献します。

“共通した方法により組立てられる統一規格の部品” これを「オープンシステム」と呼びます。

住宅の工業化をおし進めると、やがては「オープンシステム」にいきつくと考えたのが、建築家であり建築生産工学の権威 内田祥哉氏でした。

内田祥哉とは

東大教授内田祥哉氏は『同潤会アパートが近代日本建築に与えた影響』で触れた内田祥三の次男であり、日本の建築界において “建築生産” に関する第一人者です。

内田祥哉研究室出身者としては、セキスイハイムの開発者である 故 大野勝彦氏や、梅田スカイビルの設計者 原広司氏、そして新国立競技場の設計者 隈研吾氏などがいます。

また、在来木造住宅を現在の姿に改革するにあたり、大きな影響を与えた「新木造住宅技術研究協議会」代表理事 鎌田紀彦氏は、東大内田教授時代の最後の弟子にあたります。

内田祥三~内田祥哉とつながる系譜が、日本の住宅産業に大きな影響を与えたことを、つけ加えておきます。

参考サイト

一般社団法人プレハブ建築協会
セキスイハイム「建築家・大野勝彦氏及び『セキスイハイムM1』「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」展で紹介」
monotsukuri.net「日本における住宅部品産業の発展」
日本の佇まい「プレハブ住宅を巡る国の関与」
窓研究所「内田祥哉 窓ゼミナール 開講」

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