大日本帝国憲法制定と土地の私有権

明治時代は日本にとって近代国家のスタート地点ですが、不動産業が産声をあげた時代でもあります。

明治新政府を支えたのは「地租改正」という税制でしたが、不動産業の成立にも「地租改正」は大きな影響を与えました。

産業の発達には資本が必要です。不動産業を誕生させるための資本の源は「土地」でした。

土地が持つ売買対象としての商品力と金融に必要な担保力は、地租改正によりもたらされたものです。

そして地租を政府に納める納税者が社会的発言力を持つようになり、財閥や地主階級などは産業資本家として成長していったのでした。

ここでは明治の中期に不動産業が芽生えた時代背景に、憲法の制定と土地私有権の確立が大きく影響したことを考察していきます。

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憲法が定めた「財産権」により所有権が優位に

地租改正には次の目的がありました。

“土地の所有を認めることにより税収を確保する”

「公地公民」という律令時代からの根本思想を大転換し、土地の私有権を認めることにより政府の財政基盤を形成させたわけです。

土地の所有に関する考え方には2つあるとされています。

1. ドイツやフランスのように絶対的土地所有権とする「大陸法」
2. アメリカやイギリスのような相対的土地所有権ととらえる「英米法」

明治新政府は絶対的土地所有権とし、その根本方針を “憲法” に明記したのです。

1889年(明治22年)に公布した「大日本帝国憲法」第27条には次のように「財産権」を規定しました。

1. 日本臣民はその所有権を侵さるることなし
2. 公益の為必要なる処分は法律の定むる所による

土地の利用形態には「所有し利用する」と「所有せず利用する」という2つの考え方があります。

公地公民制の元では「所有せず利用する」形態であったものが、利用権よりも所有権を優先する考え方が日本に定着するわけです。

しかしこの考え方がその後、土地が投機対象となり「土地神話」を生み出し、事業の将来性に投資するのでなく将来の土地の値上がりに投資するという「金融システム」を創りあげ、100年後にバブル経済崩壊を迎える遠因ともなったことは、指摘せざるを得ないことを付け加えておきます。

旧民法と明治民法の違い

憲法の制定につづき国民の権利などを保障し、義務について規定する「民法」が生まれます。

現在の民法は1896年 (明治29)に制定されたもので、太平洋戦争後に大幅な改正がなされ、2020年にも大幅な改正をし継続しているものです。

現在の民法が制定される前に「旧民法」と呼ばれる、公布はしたが施行されることのなかった民法があります。

この民法との区別のため、現在の民法を「明治民法」といったり単に「民法」といい、施行されなかった民法を「旧民法」といいます。

旧民法と現民法では、土地賃借権に関する規定に大きな違いがありました。この違いについて触れなければなりません。

旧民法では賃借権は “物権” と規定していました。しかし現民法では賃借権は「債権」であり、第三者への対抗要件として登記が必要とされています。

また登記請求権は賃借人には認められていせん。ただし賃貸人との合意があれば賃借権登記は可能とされています。

旧民法は賃借権を物権としているため、所有権移転により土地所有者が変わった場合でも、賃借権は対抗要件があり継続することになっていたわけです。

旧民法が意図していた賃借権の物権化は明治民法の制定により消滅し、その結果土地所有者の絶対的土地所有権が確立します。つまり利用権より所有権を優先させる考え方となったのです。

そのことが地主制度をつくりだし地主階級の誕生をみることになりました。

地主制度を確立した絶対的所有権

地租改正により土地所有者には納税義務が生まれます。

税は土地の価格により算定され、土地からの収益が多ければ納税することができますが、収益が見込みを下回った場合には税金を滞納することになります。

収益の少ない零細農家などは土地を担保に借金をして納税したり、土地を売り払い課税を免れたりする動きもでてきます。

そのため農地は大規模地主に集中していき、大地主と小作人という構図が生まれるようになります。

この構図は大地主が所有する土地面積の拡大を進め、地主階級の社会的な優位性と発言力を高めました。大地主の成長をみることのできるデータがあります。

大日本帝国憲法 土地私有権引用:公益社団法人全国農地保有合理化協会「我が国農地所有構造の変貌」

実は旧民法の施行に反対し明治民法の制定にシフトさせたのは、大地主など保守勢力の台頭があったといわれています。

こうして明治維新から20年も経過すると、社会をリードする指導的立場は、士族から財閥や地主階級へと変化します。

これらの新勢力は、日本の資本主義国家形成に大きな影響力を持つようになり、太平洋戦争後のGHQによる財閥解体と農地改革までつづくのです。

自由民権運動と地主階級

地主制度を誕生させた背景には、もうひとつ大きな力が影響しています。1874年(明治7年)から1890年(明治23年)までつづいた自由民権運動です。

江藤新平・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣らが、当時の立法府にあたる「左院」に「民撰議院設立建白書」を提出したことからはじまりました。

この運動により全国各地に政治結社や政党が生まれ、運動に参加する主体は板垣退助など士族から、地主階級に移っていくのです。

自由民権運動に参加したのはいわゆる “豪農” といわれる大地主ばかりでなく、小豪農から中農層に近い農民が主体勢力になっていたことが、各地自由党の研究でも明らかになっています。

小作以外の地主農民は納税者であり参政意識が高かったことが想像でき、このような勢力が保守勢力となって「絶対的土地所有権」の確立と地主階級の成立に影響を与えたと考えられるのです。その結果が1896年 (明治29)の民法制定になったといえます。

その後自由民権運動は1889年(明治22年)の大日本帝国憲法の公布と、翌年の憲法施行および11月の帝国議会成立により、その目的を達することとなり消滅しました。

こののち日本は1894年(明治27年)不平等条約の改正に成功し、翌年には日清戦争に勝利し欧米列強に認められる近代国家となるのです。

この頃すでに財閥や地主階級などの産業資本潜在力は高まっており、日本の不動産業史上においては、会社組織による不動産ビジネスがスタートする時代を迎えます。

参考サイト

公益社団法人全国農地保有合理化協会「我が国農地所有構造の変貌」
新潟県立歴史博物館「近現代の新潟」
京都大学「現代日本の土地問題と土地政策(上):「日本型土地システム」の検討を中心に」
J-Stage「舊民法ボアソナード草案における賃貸借規定について」
近代フランスと日本「中江兆民と自由民権運動の諸相」
つかはらの日本史工房「自由民権運動の高まりと転換 -1877年~1885年-」
京都大学「自由民權運動と豪農層 - 美作自由黨の成立 -」

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