明治時代に確立した土地に関わる法律

不動産業の成長・発展を考えるうえで、法律の整備は欠かせないことです。

明治時代は富国強兵と殖産興業のスローガンをかかげ、資本主義国家の基盤ともいえる民間活力が飛躍的に拡大した時代です。

法律の整備も “憲法” をはじめとして、国民の基礎法ともいえる民法が制定されるなど、近代国家として備えるべき法律が整っていきました。

ここでは不動産業に関わりの深い法律に焦点をあて、その概要や歴史的意義についてみていきます。

下表は「不動産関連法」と、次章のテーマである「土地税制」に関する法律を年表としてまとめたものです。

明治時代,土地,法律

不動産担保に関する法整備

江戸時代から土地は担保物件として活用されていました。

権利証のような役割をしていた「沽券」を質入れして、お金を借りることが一般におこなわれており、なかには “質流れ” になる土地もあったのです。

明治時代になると、担保権の設定は法律により制度化されます。制定した法律は「地所質入書入規則」と「建物書入質規則」の2つです。

質入とは現代の質権に該当し、書入とは抵当権のことでした。

「地所質入書入規則」は1873年(明治6年)に、「建物書入質規則並ニ建物売買譲渡規則」は1875年(明治8年)にされ、規則の内容は以下のようなものです。

1. 町村の戸長(町村長のこと)役場に「奥書割印帳」を備え付ける
2. 「奥書割印帳」に担保権者や担保権を記載する

戸長役場は現代の登記所の役割を果たしていたのです。

では担保設定は法制化されましたが、債務不履行による担保権行使はどのようにおこなわれたのでしょう。

江戸時代は “質入れ” された土地は、借金の返済がなければ「流地処分」されます。

質流れになると債権者に所有権が移転するわけですが、1873年(明治6年)太政官布告により流地処分は禁止となりました。その後は競売がおこなわれるようになったのです。

また競売価格が債権額に満たない場合は、債務者の総財産に強制執行がおこなわれるようになり、現代の「民事執行法」に通じるような強制力があったようです。

土地や建物の質入れや書入れ規則は、その後憲法の発布を経て1896年(明治29年)には、「不動産質権」「抵当権」として民法に反映されるようになります。

不動産売買に関する法整備

建物の質入れや書入れ規則には「建物売買譲渡規則」についての定めがあり、担保権とともに建物の所有権移転も “公証” によるものとされました。

江戸期は建物について “不動産” という認識はなく、売買の仲介には “道具屋” が介在し「動産」と認識されていたようです。一方、大阪では土地と建物は一体として扱われていました。

地租改正により「地券」が発行されますが、建物には所有権を証するものがなく、建物は担保として通用しなくなってしまいます。

そこで1875年(明治8年)の「建物書入質規則並ニ建物売買譲渡規則」により、建物は土地と切り離し別個に公証する制度が生まれたのです。

この取り扱いが後に登記制度ができると、土地と建物を別々に登記する現代の制度になっていくのです。

1880年(明治13年)には土地売買譲渡規則が制定されます。

土地は「地券」により所有権が証され、担保にする場合は戸長役場で「奥書割印帳」に記録されていました。

しかし所有権と担保権が別々に管理される不便さがあり、これを解消するため、戸長役場にて所有権も公証するよう変更したのです。

この公証制度も後に1886年(明治19年)「登記法」の制定により、土地と建物を別に登記する現代の方式につながっていきます。

土地収用法が国の開発を進めた

1875年(明治8年)「公用土地買上規則」が制定されます。

この規則は「公益の用に供する為」限定で、強制的に政府が土地を買い上げできることを定めたものです。

強制的な措置なので土地所有者は拒否できませんでした。唯一土地所有者に与えられた権利は、買上げ代金を受取ってから土地を引き渡すことが可能だったことです。

しかし明治10年代になると、鉄道用地の買収を迅速に進める必要がでてきました。

そのため1882年、1883年(明治15、16年)2回にわたり改正がおこなわれました。

政府内では、「買上げ価格が決まらない時点での土地の引渡しを可能にする改正案」を主張する内務省や工部省と、従来の「買上げ代金受領後の引渡し」を主張する参事院とのせめぎ合いがあったといわれています。

結果的には「急を要する場合は買上げ価格の合意がなくても、収用できるよう」に改正されるのですが、手続きには時間がかかることとなったのです。

土地収用は所有者の “所有権” に係るものです。1889年(明治22年)大日本帝国憲法が制定されると、所有権は次のように規定されます。

1. 所有権は侵害されない
2. 公益のために必要な処分は法律により定める

憲法の定めを受けて同年「土地収用法」が成立するのです。

その後土地収用法は、1900年(明治33年)に新法が成立し、さらに昭和26年、昭和42年、平成13年と大きな改正がされるようになるのです。

健全な不動産流通を支える周辺法

不動産売買が活発におこなわれると、流通環境を整える法律も必要になります。

前述した1886年(明治19年)の「登記法」により、所有権・質権・抵当権といった権利の登記は「登記所」でおこなうことになりました。

登記法成立後、明治22年には地券制度が廃止され登記事務は裁判所が、土地台帳の事務管理は郡役所が行っていました。

その後明治29年には、土地台帳と公図は税務署に移管し、登記簿を裁判所が管理することとなるのです。

1896年(明治29年)に制定された民法は明治31年に施行され、登記法は民法にしたがった内容に整備されて、1898年(明治31年)に不動産登記法として成立します。

民法には不動産に関係する条文が多いのですが、このころ「賃借権」に関わる大きな問題が起きてきました。

地震売買

借地上に建物を建てていた場合、建物は前述のとおり “動産” と認識されていました。借地はほとんど賃借権によるもので、登記されることがないのは現代も同じです。

借地している土地の所有権が第三者に移転すると、借地上の建物を取り壊すよう新しい所有者から求められます。

つまり土地が売買されると建物が壊されることをもって「地震売買」と、このころ表現され社会問題となっていました。

そこで建物所有者は建物を登記することにより、第三者に対抗できることを規定した「建物保護ニ関スル法律」が、1909年(明治42年)成立しました。

現代もこの規定が「借地借家法」で守られているのです。

東京の都市計画

1888年(明治21年)「東京市区改正条例」が公布されます。

この条例は日本最初の都市計画法制といえるもので、約30年間にもおよぶ東京の市街地改造計画でした。

事業費のおよそ半分は道路建設につかわれ、上水道整備や河川改修などの事業費捻出のため、特別税や公債の発行もされました。

土地収用も強制的におこなう必要があり、翌年1889年(明治22年)には「東京市区改正土地建物処分規則」も制定されたのです。

道路建設では路面電車の整備が同時におこなわれ、電鉄事業者の民間資金も活用する手法がとられています。

人口増加も進み明治末期には270万人に達する大都市が形成されていました。

明治時代,土地,法律

引用:東京都「東京都の統計」

その後「東京市区改正条例」は、1918年(大正7年)に大阪、京都、名古屋、横浜、神戸において準用され、5大都市の都市計画に活かされることになりました。

1899年(明治32年)制定の「耕地整理法」も注目しなければなりません。

その名のとおり「耕地(農地)」の区画変更や道路・畦畔、用水路などを整備するため、土地所有者が共同で事業をおこなうことを可能にする法律ですが、後の「土地区画整理法」につながり土地区画整理手法として定着するのです。

建築物に対する制限

1919年(大正8年)には「都市計画法」と「市街地建築物法」が同時に制定され、当時の「市」の枠を超えた都市計画区域の設定と「用途地域制度」の導入がおこなわれるようになります。

都市計画法は昭和43年の改正まで基本法として継続し、市街地建築物法は昭和25年の建築基準法に引継がれるのです。

市街地建築物法は制定の翌年、まず東京・京都・大阪・横浜・神戸・名古屋で施行され、1926年(大正15年)には、札幌市など41市と茨城県土浦町で施行されます。

その翌年にはさらに3市が追加され、全国の主要都市で市街地建築物法を適用する建築行政がスタートしました。

用途地域は次の5つに区分されています。

1. 商業地域
2. 工業地域
3. 住居地域
4. 未指定地域
5. 適用除外区域

さらに実際の運用においては「路線的商業」が指定され、住居地域や工業地域および未指定地域内の主要道路沿線に適用されている事例があります。

このように明治後半から大正にかけて、都市開発のルールや建築物の計画的な配置が進み、近代日本における国の姿が形成されていったのです。

参考サイト

一般財団法人 不動産適正取引推進機構「明治期の不動産政策」
貝塚司法書士事務所「裁判制度の歴史/明治篇」
J-Stage 歴史と経済第216号(2012年7月)「明治期における土地買戻慣行の成立と展開」
立命館大学「「土地と地上建物の別個独立」構成の貫徹はいかにして生じたか」
J-Stage「一八七五(明治八)年公用土地買上規則の成立と展開―近代公用牧用法制研究序説―」」
立命館大学「賃借権に基づく登記請求権の否定は地震売買の原因だったか」
J-Stage「旧都市計画法および市街地建築物法による初期地域指定の方法に関する研究」

不動産の歴史まとめページ

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