戦後復興と住宅政策

1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し第二次世界大戦・太平洋戦争が終わりました。

420万戸におよぶ住宅不足解消のため政府は「罹災都市応急住宅建設要綱」を決定し、30万戸の「応急簡易住宅」建設に乗り出します。
しかし昭和23年末までに建設された住宅数から被災需要以外の約70万戸を差し引くと、実質的に増加した住宅は約50万戸に止まります。

昭和24年になっても住宅不足は解消される見通しはなく、住宅政策の3本柱が揃うまで待つこととなるのでした。

ここではまず戦後復興の要である、GHQ主導でおこなわれた大改革をみていきます。
GHQが主導した改革のなかで不動産業に係るものが次の2つです。

・財閥解体
・農地改革

財閥解体については『財閥系不動産会社が続々誕生』にて、その一端を見ることができました。

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農地改革

明治新政府の財政基盤であった「地租」は、零細農家の土地が有力地主に集積されるという副作用を生みました。

地主は小作者に土地を貸して小作料を徴収する経営をおこないますが、小作料は収穫量の半分にもなっていたといいます。

農地改革は一定以上の面積を所有する地主の土地を小作者に売渡し、自作農を増やすことを意図したものです。

昭和20年末の耕地面積は約5万㎢であり、その43.4%の約2.2万㎢が小作地でした。そしてそのうち政府が買収した土地と、財産税物納などで国庫にあった土地約1.9万㎢が小作者に売渡す土地となりました。1.9万㎢は青森県2つ分の面積になります。

買収した地主戸数は約252万戸であり、420万戸の小作農家に土地を売却したのです。

ちなみに買収単価は田が平均757円/反当り、畑が平均447円/反当りであり、㎡単価はそれぞれ0.76円、0.45円となります。昭和25年の物価換算だと、かけそば一杯で20㎡の田んぼが買収されたわけです。

「無償買収」といわれるように大地主にとっては、たいへん厳しい改革だったといえるでしょう。

こうして多くの小作者が、土地を手に入れることができたのが農地改革です。

大地主の存在がなくなり農地は細分化されました。このことにより大規模農場経営がむずかしくなる、という弊害を生むことになったのですが、一方では平地の少ない我が国において、農地は宅地供給の基盤になり高度成長を支えた一面があるのです。

下図は昭和35年から平成26年までの期間で、農地転用された面積の推移を表したグラフです。高度成長期に多くの農地が工場用地や宅地に転用されたことがわかります。


引用:農林水産省「農地転用等の状況について」

住宅政策を支える法整備

昭和20年から昭和30年までには、急がれる住宅不足対策に関し多くの施策が為されました。
下表は主要な法律と住宅政策をまとめたものですが、表中で赤字により記載した項目については、次回以降に解説しますので、ここではその他の法律や住宅政策について解説します。

(住宅金融公庫、公営住宅、そして昭和30年に設立する住宅公団を「住宅政策3本柱」といいます)

住宅緊急措置令から臨時建築制限令まで

昭和20年、21年には次の法令により緊急的な住宅政策が実施されます。

・住宅緊急措置令
・罹災都市借地借家臨時処理法
・特別都市計画法
・地代家賃統制令
・臨時建築制限令

1.住宅緊急措置令
「住宅緊急措置令」により元兵舎や工場の寄宿舎、倉庫、空き家など住宅として利用できる工作物に対し、知事などが使用権を設定できる権限を与えました。

公布されたのは昭和20年11月であり、越冬の備えとして充分な住環境を確保できるものではありませんが、利用できるものはなんでも利用しようと考えるほど住宅不足が深刻だったのです。

2.罹災都市借地借家臨時処理法
『関東大震災と復興に向けた施策』で触れた、1924年(大正13年)の制定による「借地借家臨時処理法」と同様の目的で、制定された法律です。

家屋が滅失した借地人や借家人は借地権・借家権を失うことになりますので、その救済をおこなうための法律でした。そのため多くのバラックが建てられ、都心部に新たな借地権が設定されるという副作用も生まれたのでした。このことがのちに持ち家率を引き上げる効果を生むのです。

3.特別都市計画法
戦争被害を受けた全国115都市に適用した特別法です。土地区画整理事業において次の特例を認め、区画整理事業の促進を図りました。

・行政庁に施行権限を認める
・施行範囲を拡大できる
・土地所有者の同意により換地をおこなわず金銭清算が可能にした
・宅地面積の規模を適正な範囲に整理できる
・換地予定地の指定に関する規定を作成
・建築物の移転や占有者の立退きに強制権を与えた
・用地補償金は1割5分以上の減歩に適用

4.地代家賃統制令
終戦前にも施行された「地代家賃統制令」と同様に、地主や大家の賃料値上げを認めず統制をかけました。これも持ち家率を上げる原因となります。

5.臨時建築制限令
不要不急の建築行為を制限する目的で、料理店・劇場・映画館等や、床面積が50㎡を超える住宅・店舗・事務所の新築や増改築を原則禁止としました。

建設省設置法と建設業法

建設省はいうまでもなく現在の国土交通省です。そして建設省の前身は「内務省」です。

内務省は『関東大震災と復興に向けた施策』で触れたように、現在の総務省、国土交通省、厚生労働省、国家公安委員会を合わせたような巨大な組織でした。

GHQは日本を戦争に導いた責任省庁として、内務省の解体を重要事項としていたといわれます。

日本政府はGHQより、昭和22年4月に内務省改革案の提出を求められます。そのご政府とGHQとのやりとりがつづき、6月末に至り内務省を「地方自治委員会」「公安庁」「建設院」の3機関に分割する案が決まるのです。

国会に提出後もGHQからさまざまな意見がだされ、法案の変更を繰り返し12月8日に「建設院設置法案」が成立しました。

建設院は昭和23年1月1日付けで発足しますが、建設省設置法制定により翌年7月10日付けで「建設省」に昇格するのでした。

住宅不足解消のためには住宅の供給が必須ですが、建設業者が乱立しておりその経営状況は悪く、建設業界にはさまざまな問題が生じていました。建設業界の適正化と建設事業の健全な成長を図るため、建設業法が制定され、建設省が指導監督をおこなう体制整備が図られたのです。

土地政策に関する法律

1.国土総合開発法
「国土総合開発法」が昭和25年公布されました。
国土を総合的に利用・開発しつつ、自然保護と産業立地を適正におこなうための法律で、次の4種類の総合計画を策定・実施することとしています。

・全国総合計画
・都道府県総合開発計画
・地方総合開発計画
・特定地域総合開発計画

昭和26年から地域指定をおこない昭和33年までに21地域で計画が策定されました。

2.国土調査法
昭和26年制定の国土調査法は、基準点測量と地籍調査および土地分類調査と水調査をおこなうことが目的です。
このうちまず実施されたのが「地籍調査」ですが、その進捗率は現在においてようやく50%を超えたというレベルであり、都市部においての促進が望まれています。

引用:国土交通省「明治期からの我が国における土地をめぐる状況の変化と土地政策の変遷」

3.土地収用法
明治33年に制定された「土地収用法」は戦後も有効でしたが、事業認定手続きを民主化するため改められ、昭和26年に新法が公布されました。

事業認定の権限が旧法では内務大臣となっていましたが、これを都道府県知事として、国の権限となるのは、2以上の都道府県にまたがる事業や都道府県が起業者である場合に限定しました。

収用による補償は民主的に進めるため、都道府県など権限者とは独立性のある収用委員会による裁決をおこなうこととし、代替地や現物補償を認めかつ事前補償または同時補償を原則としました。

新法により憲法第29条が定める “財産権の不可侵と公共の利益” のバランスを保つ、法的根拠ができたといえるでしょう。

4.土地区画整理法
戦前までおこなわれていた「土地区画整理事業」は、根拠法を「旧都市計画法」「特別都市計画法」「耕地整理法」によっていましたが、耕地整理法が廃止したため土地区画整理のための “単独法” が必要となったのです。

昭和29年に土地区画整理法が制定され、以後は都市計画および都市開発のほとんどが、土地区画整理事業により行われていくのでした。

住宅政策と持ち家率上昇

戦後直後の復興を担う部署は「戦災復興院」でした。応急簡易住宅の建設と特別都市計画法による115都市の復興事業を押し進め、昭和23年には戦災復興院は「建設省」に統合され、さらに復興事業の促進を図ることになります。

昭和25年には「住宅金融公庫」が設立され個人の持ち家促進を図りつつ、昭和26年には「公営住宅法」の制定により、地方公共団体主体の住宅建設も進めようとしました。

しかし現実には資材不足による統制や自力建設するための資金不足など、たいへんな苦労を伴う復興であったと思われます。

終戦前後の期間では持ち家率が借家率を上回る逆転現象が、起きていることにも着目しなければなりません。その理由は、大家が借家人に対し、家の売却をするケースが非常に多くなったことです。

「地代家賃統制令」および「財産税」と「非戦災者特別税法」により、家賃が統制されたことに加え、戦災を受けなかった家屋の税金が上がったのです。地租は7倍に家屋税は5倍に増税され、借家業が成立しなくなってしまい、借家人に住宅を売却する大家が増えたのでした。

また、終戦直後のこの時期はさまざまな分野でも混乱が生じます。物不足の影響により急激なハイパーインフレーションがおきていました。地価の推移を見るとその様子がわかります。


出典:『日本不動産業史』

1946年(昭和21年)~1947年(昭和22年)にかけて急上昇していますが、昭和23年にはインフレは終息し昭和25年ころの物価水準がしばらくつづき、やがて高度経済成長を迎えるのです。

不動産業界も昭和30年前後から、注目すべき動きが見られるようになるのでした。

参考サイト

国土交通省「明治期からの我が国における土地をめぐる状況の変化と土地政策の変遷」
九州大学「戦後の住宅生産と行政施策の変遷」
独立行政法人経済産業研究所「農地改革の真相-忘れられた戦後経済復興の最大の功労者、和田博雄」
創価大学「日本の農地改革――その意義と限界 」
農林水産省「農地転用等の状況について」
一般財団法人 不動産適正取引推進機構「昭和戦後復興期の不動産政策」
一般社団法人 全日本建設技術協会「(旧)建設省設立70周年を迎えて」
CORE「内務省解体と戦後教育行政改革」(早稲田大学大学院教育学研究科紀要)
国土交通省「建設業法の構成、変遷等」
J-Stage「1940年代後半の戦災都市における住宅復興」
衆議院「法律第百四十三号(昭和二二・一一・三〇)非戦災者特別税法」
【参考書籍】
・『日本不動産業史』 発行所:財団法人名古屋大学出版会 編者:橘川武郎・粕谷誠 発行者:金井雄一

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