日本の高度経済成長とともに住宅産業が成長した様子を、前回まで4回に分けてみてきました。
・工業化住宅性能認定制度によりプレハブが大手ハウスメーカーに
・2×4工法がオープン化した影響は?
・国家プロジェクト「ハウス55」とは?
建築家がプレハブ住宅に関わっていたことも紹介しました。
ここではさらに住宅産業に与えた建築家たちの影響を、想像を膨らませながらふり返ります。
小住宅の原点
戦後多数の住宅を設計し、代表的建築家のひとりとされる清家清が「森博士の家」を発表したのは、1951年」(昭和26年)のことです。
それから四半世紀後、ネスカフェゴールドブレンドのCM “違いがわかる男” に登場したことを、覚えておられるかたがもしかしたらいらっしゃるかもしれません。
参照:ミドルエッジ「「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」でおなじみ「ネスカフェ ゴールドブレンド」CMに出演した、違いが分かる男達。」
清家清の住宅は現代住宅の原点とも位置づけられるもので、有形文化財として登録されています。
参照:文化遺産オンライン「森博士の家 もりはかせのいえ」
30坪に満たない小住宅ですが、15坪ほどの自邸(これも有形文化財)とともに清家清を理解するうえでの重要な作品といえるのです。
清家清と同時代に活躍し住宅作品が多い建築家として吉阪隆正がいます。早稲田大学の教員を務めながら大学構内に建築設計事務所を創設し、後進を育てる活動もおこないそのなかから、1971年(昭和46年)象設計集団が生まれます。
雨に濡れる家
安藤忠雄が「住吉の長屋」を発表するのが、1976年(昭和51年)のことで、清家清がゴールドブレンドを片手に登場した年でした。
住吉の長屋は “トイレにいくのに雨の日は傘が必要だった” ことから話題にもなりましたが、のちに世界的建築家となる安藤忠雄にとって、建築専門雑誌に登場するほどの代表作だったのです。
日本には安藤忠雄の名を知らない人は、ほとんどいないといっていいほどの存在感がありますが、「森博士の家」から「住吉の長屋」までの25年間、ほかにも多数の建築家たちが住宅に関わる仕事をしています。
そのなかから数人をピックアップし、初期の代表的住宅を確認してみましょう。
建築家の住宅 | 作品名 | 竣工年 |
吉阪隆正 | 浦邸 | 昭和31年 |
菊竹清訓 | スカイハウス | 昭和33年 |
鈴木恂 | CHH6410 智有趾 [数佐邸] | 昭和39年 |
東孝光 | 塔の家 | 昭和41年 |
内井昭蔵 | 桜台ビレッジ | 昭和44年 |
宮脇檀 | ブルーボックスハウス | 昭和46年 |
毛綱毅曠 | 反住器 | 昭和47年 |
象設計集団 | ドーモアラベスカ | 昭和49年 |
山下和正 | 顔の家 | 昭和49年 |
リンク先で確認いただくと “えっ!” と驚く住宅もあります。
これらの建築家たちが住宅産業に与えた影響として、目に見えるものは残していません。しかし有形無形にかかわらず間接的な影響はあったのではないか……と考えるのです。
住宅産業の技術者を育てた建築家
建築系出身者の就職先の変化をグラフにしたものを見てみます。
1992年(%) | 2011年(%) | |
研究教育機関 | 1 | 1 |
ゼネコン・サブコン | 47 | 17 |
設計事務所 | 13 | 7 |
コンサルタント | 2 | 1 |
住宅メーカー | 12 | 11 |
材料機器メーカー | 6 | 3 |
専門工事業 | 5 | 6 |
官公庁・公団公社 | 5 | 5 |
インテリア関連 | 1 | 1 |
不動産業(デベロッパー含む) | 2 | 6 |
工務店 | 0 | 1 |
その他建築関連 | 0 | 6 |
他業種 | 8 | 13 |
業種不明 | 0 | 22 |
出典:J-Stage「建築系大学卒業生の進路調査の経年分析」
時代により傾向が異なると考えられ、1992年と2001年のデータにもとづいてみました。
・1992年は住宅メーカーが12%、デベロッパーを含めた不動産業が2%
・2011年は住宅メーカーが11%、デベロッパーを含めた不動産業が6%
つまり毎年15%ほどの卒業生は住宅産業に就職していると推測できるわけです。
日本には現在、建築系の学科がある大学・短期大学は約160校あり、1学年40名と仮定すると6,400名が卒業すると考えられます。
そのうち15%に該当する960名が住宅メーカーと不動産業に就職すると考えられ、この傾向はあまり変わらないと仮定すると、昭和26年から昭和51年までの25年間に24,000名もの新卒者が住宅産業に就職したわけです。
そのなかには、清家清から安藤忠雄までの住宅作品に、建築雑誌をとおして触れた人たちが相当数いたと考えられ、何らかの影響を受けていたといっても過言ではありません。
その影響の証左としてグッドデザイン賞に目を移してみます。
グッドデザイン賞は1957年(昭和32年)に創設されました。
工業品などを中心に優れたデザイン性と機能性のある商品に与えられる賞です。2019年度の建築部門では236件の受賞作品があります。
参照:2019年度グッドデザイン賞[建築]
歴史のあるグッドデザイン賞ですが、建築が最初に受賞するのは1991年(平成3年)のことです。
受賞したのはミサワホームの「GOMAS O-48-2W」と積水ハウスの「イズ・ステージ(桜上水モデルハウス) 02BB60JP-ST」でした。
平成3年は安藤忠雄の「住吉の長屋」から15年が経過しています。新卒で15年前に入社したスタッフが、商品開発部門のリーダーとして、これら受賞作品を考案したと想像することに無理はないように思います。
住宅産業と建築家の存在
三井ホームは建築家との提携により、顧客の希望を採り入れ質の高い住宅を実現する「専門家によるコンサルティング」方式をおこなってきました。
同様の手法は「三井ハウス」の名で事業展開した、三井木材工業の住宅事業でも見られたものです。
セキスイハイムの誕生には、建築家大野勝彦が関わっていたことは『プレハブ住宅の台頭』で触れたとおりです。
そして安藤忠雄が “建築界” に登場するころになると、住宅を専門に設計する「アトリエ系設計事務所」が地方都市でも多く生まれるようになるのです。
『工業化住宅性能認定制度によりプレハブが大手ハウスメーカーに』で触れたように、工業化住宅のシェアは10%と伸び悩むことにより、在来木造にシフトしようとする政策が昭和50年代末ころからはじまります。
すなわち在来木造工法の改革がはじまるわけですが、その主役として在来系ハウスメーカーはもちろんですが、むしろ圧倒的多数を占める工務店の活動に比重が移っていくのです。そして工務店の成長に欠かせなかったのが、アトリエ系設計事務所の存在です。
現在、地域に密着した工務店に、高品質の住宅を造りだしている事例を多くみることがあります。そこには「アトリエ系設計事務所」との協働があることを見逃すことはできません。
参考サイト
・公益社団法人建築家協会「清家清」
・安藤忠雄建築研究所 Tadao Ando
・J-Stage「建築系大学卒業生の進路調査の経年分析」
・グッドデザイン賞
・京都大学学術情報リポジトリ「経営的側面からみた工業化住宅の生産・供給の変遷に関する研究」